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樋口一葉展 わが詩は人のいのちとなりぬべき 

特別展「樋口一葉展―わが詩は人のいのちとなりぬべき」 | 神奈川近代文学館 (kanabun.or.jp)

 

行ってきました。24日に自転車で。駐輪場に止めてたら時間がないので、某公園内に駐輪して階段上ってたら足ガクガク…。そして滑り込みセーフで40分一本勝負でみました。11 月 23 日が命日だったんですね。

・・・もっとゆっくり観るべきだった。

樋口一葉の悲劇は幾重にも重なりあって哀しい。女だからとか、貧しかったからとか一言では言えない。一葉を縛る何本もの糸。どれも一葉を楽な道へと行かせない。

長女でもないし、次兄もいたのに、タイミング悪く傾いた家の家長となってしまい母と妹の生活を背負った。貧乏になったのに萩の舎(良家の子女のいく文学塾)と縁が切れず、新聞小説にも邁進できず…。

幼いうちから文学に目覚めて紫式部清少納言と自分を重ねたりしなかったら、

女でも高等教育を受けていられたら、

はやくに家をでていくように仕向けられ嫁にいくなり手に職つけるなりしていれば、

24歳で苦労したあげくに死んじゃうなんて、何がいけなかったの?と思うと、IF がきりない。

 

でも、一番の不幸は命を奪った結核だったのか?といったら、それはそうじゃないと思う。

もう人生の最後、と弱った体から悟ったのか、運のなさを悟ったのか、どちらかは分からないけど、悟ったからこそ最後と思い定めて傑作といわれた小説たちを書けたとしか思えない。

新吉原遊郭の近くで子供相手の商いをして1年は無事に暮らせたのに、真似されて儲けが半減し、閉店を決断、まだ士族気取りで遊郭の近くなんて引っ越したいという母と妹(殴りたい)…。転居し、一葉は、遊郭の街で知り合った人々を思い出しながら小説を書きまくる。亡くなるまで14か月。もう治らないと診断されたのは亡くなる3か月前だったそうだが、もっと早くに悟っていたのじゃないかと思う。

一葉の小説にあるのは、涙のあとの冷笑、といわれるが、父や兄の経済的失敗をなんとか挽回しようとあがいてきて上手くできない自分への冷笑、小説を十分な金にも変えられぬのにまことの文学について考える自分への冷笑、自分たちの貧しさを棚に上げ遊郭の街を軽蔑する母や妹への冷笑... 貧しいのに萩の舎とかかわり続ける自分への冷笑… もう大量の冷笑が執筆動機にあるにはあると思う。

だけど、いずれは自分の子も遊郭に売るであろうような人々の暮らしを描いた小説には、そこから出ようとあがいたところでどうなるのだ、あがかぬもあがくも誰が笑えるのだ、という冷笑の前の熱い涙、温かさがあるのも確か。

人生は複雑な立体構造物であり、光があれば影があり、熱さも冷めたさも、乾いた部分もあれば濡れた部分もあるんだよ、と24歳にして悟りつくして亡くなった。哀しい…。だけど、文学的名声は得たのは初志貫徹である。

 

神奈川近代文学館は29日から改装のため閉館し、来年の4月に再オープンするのだが、そのころには5000円札は津田梅子に代わっている。5000円札が一葉のうちに、企画展示したのかな? だとしたら粋なことしますね。

 

今回のような企画展示に、達筆の自筆原稿がたくさん展示されるのは、妹さんのおかげだそうで、腹立つとかいっちゃだめみたい。