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京都日帰りして反省会2

しかし晴明神社のあたりは、京の街ってこんなだったんだ…って思わせる風情が残っている。おそらく当時のままの道の幅とかだよね、新選組が誠の旗もったり、刀を振り回すスペースがある…。東京とは違う。壬生狼と呼ばれた新選組がいた壬生町は、晴明神社本願寺の間のはてしなく本願寺より。京都駅側からみて本願寺の左となりに島原遊郭があったそうだが、見返り柳とか大門とか残っているらしいので、今度行ったら観る!

晴明神社から歩いて同志社大学のあたりを通過しながら、京都御所へ。

同志社大学は、新島襄の志を受けて設立された、おそらく、慶応義塾の次くらいに古い私学なんじゃないでしょうか?新島襄さんの信仰がプロテスタントだったので、チャペルあり。何気に外から眺めたが、建造当時のままの建物らしい。古い歴史のある建物は、学究の歴史を語ってあまりある。関西の親が子供に行かせたい大学一位の座にあるのもわかる。

疎水のガイドさんの説明によると、疏水の今コンクリートの部分も最初は煉瓦を使ってつくられていた、ということだ。同志社大学はほとんど煉瓦でつくられているように見えたのだが建造当時の建物が多いのだろう。そして重要文化財が多いと、あとから知った… 知ってたら守衛さんにきいてみて、キャンパス内でもっとじっくりみたかった…。一応、国宝指定とか重文指定には観るべきところはあると信じてる派なので。

京都御所の近くにあるでっかい寺 相国寺(おそらくお坊さんが学習するための寺院と思われる、広い。学僧の泊まる僧房やお風呂棟などが整然と並ぶ)を通過して、上御霊(かみごりょう)神社にいってみる。応仁の乱勃発の地といわれているそうだ。細川護熙元首相の筆によるなんか碑があった。応仁の乱=畠山兄弟の跡目争いだが、後ろについた大きな一族たち(そのうちのひとつが細川家)に利用されただけって感じもするなあ…。 哀しいなー。

京都御所は普段から見学可なのだが、その日はイベントの片付けのため非公開となっていたので、ひたすら外苑をみて後にする。そして滋賀へ… 大津港観たいから早めに移動する…

9時に大津港についたが、特になんもなかった。ただ湖があった。だけど、これは実際に行かないとわからない。でかい。琵琶湖。そして、白鳥のために犬小屋ならぬ、白鳥小屋が浮かべてあったり、湖に突き出しているデッキの手すりが羽の付いた虫だらけとか、なぜか噴水の水で鳩が行水してたり、いろいろ自由だった。

疏水亭というお店で昼ごはんを食べてから(このお店はアタリです、美味しかった)、疎水船にいよいよ乗る。乗り場の近く三尾神社(うさぎの紋を使う珍しい神社)があった。園城寺三井寺)の南院の鎮守社となっているそう。ここも古いが、三井寺とかまで上がっていけば更にいろいろあったよう。古式ゆかしき神社とお寺とか何かの遺構など。

大津市逢坂の住所にある関蝉丸神社なんて…ご本人の生存時にすでにあり、蝉丸さんが没後にその魂が祭られたとかで、古いのにライブっ。今昔物語時代のライブだよ。ほんとに逢坂に住んでたのか―。今回は疏水船に乗る時刻が決まっているので知っていても行けなかったけど。