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関東大震災

1923年9月1日 11時58分 関東大震災が起きた。

倒壊そのものの被害に加えて、火事、津波、電車事故… それぞれに被害者が出て、亡くなった人は10万人近い。

朝鮮人虐殺の被害者に追悼文は出すことをやめた小池知事、震災犠牲者の追悼はしているといってるが、自然災害で亡くなった人と人種差別からくる虐殺の被害者を震災犠牲者として一緒にくくるのはさすがにいかんでしょ。

「震災という天災被害によって心の荒廃がもたらされ、大量虐殺が発生したので、虐殺も大震災の被害の一部...」 なんて理屈が成り立つと思ってるのだろうか?

そんな理屈がまかりとおったら人間はずっと反省しない、野蛮な殺人鬼を許す社会になってしまう。

震災の混乱にまぎれて軍人の甘粕が社会主義者大杉栄を、一緒にいた女子供ともに惨殺した。権力者のふるう力に、庶民は愚かにも敏感に反応する。軍部が作った時代の雰囲気が、民間の殺人集団をあちこちに産んでしまったのだろう。井戸に毒を入れるから殺す、から始まって、半島に帰って日本人の悪行を言いふらすから殺す(悪行と自覚しているのが…絶句)と、女子供に至るまで殺した。

関東大震災の直後、埼玉、東京、神奈川と広い範囲で、殺しがはびこっていたことは、当時の庶民の日記やら、子供が学校で書かされた作文などで確認できる。

横浜でもたくさんの朝鮮人が殺された。15円50銭と言え、といわれてうまく言えなくて殺された日本人もいた。井戸に毒を…なんて言い訳しつつ、ひとを殺したいから殺した。

人間は怖い、怖いけど怖がっているだけじゃいけない、もし人を殺してなんとも思わない人を眼前にしたら刺し違える覚悟はあるか?たいていの人はそんな覚悟はできない。だからこそ、せめて社会全体としての反省とか追悼とか、必要なんじゃないの?