よくいる57歳の日記

そこらへんによくいる56歳の日記

ワンガリ・マータイさん

ケニヤのワンガリ・マータイさん

環境分野の活動家およびアフリカ人女性として史上初のノーベル平和賞を受賞

(from Wiki) 

 

ケニヤも、部族が争う国ではありがちなように非常に男尊女卑の国である。マータイさんアメリカからもらった奨学金で、子供のころから昆虫や植物が大好きだったので、生物学を学んだ。政治家としても活躍しだしたころ、自分の夫から命を狙われるほど迫害を受けた。浮気をしているとか賄賂を受けているとかデマを流され、脅迫を受けて、命を守るため数年間、潜伏生活を余儀なくされた。子供も夫にとられてしまった。

 

だけどマータイさんの始めたグリーンベルト運動は止まなかった。自分の畑をつくるとき、土地をまるはげにせず1本木を植えよう、そうすれば落ち葉がまた土を豊かにして次の年も畑から作物をとることができる、という運動なんだけど、ケニヤの男は戦いに備えて威張ってるだけで全く働かないので、畑をするのも、グリーンベルト運動に参加するのも女性だった。マータイさん環境保護活動は図らずして女性たちへの啓蒙運動にもなった。

このグリーンベルト運動のおかげで、ケニヤでは農耕生活を壊さずに済んだので、部族が海外からの武器を得て内紛するという事態に至らず済んだといわれている。

木を植え続けた女性たちにとっては、毎年畑が稔りをなすことは、ありがたいけど当たり前っていうか….。それよりびっくりしたのは、国際的にグリーンベルト運動の価値が認められだしたら、男たちが「村の女たちがたいしたことをしたものだ」といったことだった、という...。それほどまでに男尊女卑であったということだ。

マータイさんは亡くなられたが、晩年は子供たちも父のほうが犯罪者だったことに気づき、グリーンベルト運動を引き継いでいる。ケニヤは土葬が通常だけど、マータイさんは遺言により、草で編んだ棺で火葬され、ケニヤの大地に還った。

マータイさんの、自分が女だとかを超越したところにある、アフリカの大地のため、そこに住まうすべての生物のため、という志が歴史を動かした…と思う。マータイさんにとって、それは自己犠牲ではなく自然なことだったのだろう。