よくいる57歳の日記

そこらへんによくいる56歳の日記

横濱王 永井紗耶子

永井さんの2015年の作品。

横濱王とは、住まい跡が三渓園として今に残る原三渓さんのことを指している。

三渓園… 鋭角な感性が際立つ個性である…。都内の岩崎家や徳川家の庭園公園とか、あちこち行ったけど…近くは大倉山の大倉財閥関連の梅園とギリシャ風建築の大倉精神文化研究所があるが…。 丁寧に保存されている、ということもあるけど、とにかくも三渓園が一番おしゃれである。 

はんぱない実行力で…でも、これ持ってきていいんか_?と思うような寺社仏閣の石像やら倉やら門だのなんやらが配置してある。頼まれて引き取ったものとかもあるらしいので、強引にもってきたってものでもなさそうだけど。川だ池だに臨んで建物があるのでメンテナンスはいかにも大変そうなのだが、いかにも贅沢。本来はこれが人間の自然な生き方なのかもね、と思ったりもする。自分が単に水辺好きなだけかな?

池付きヘーベルハウスとか、川ありミサワホームとかなんでないんだろうね?と思う。

真ん中を川が流れるマンションとかね。

1960年頃までは海を見下ろしていて、今生きている人でも三渓園の下は海水浴場だった、と記憶にある人がいるくらい。埋め立てが進んで、崖下は海ではなくなっているし、海はみえるけどコンビナートが並んでる工業地帯になってしまっている。横浜でもう工業しないならいっそ、海水浴場に戻してしまえと思うけど一度作ると戻すのは大変だね…。1960年代の高度成長期に埋め立てが進んだそうで、原三渓さんのような実業家が生きていたら埋め立てさせなかったのか、もうどんな大物でも大衆の意志にはかなわない時代だったのか。自分が子供のころ1970年代は、多摩川も家庭排水で泡だらけだったなー…。今きれいになったけど。

 

2019年に展覧会も開催された。もう一回やってほしい…。

yokohama.art.museum

関東大震災の後、原さんたちが頑張って横浜を復興させて今に至るという事実が、原三渓を横濱の王として時間が経つほどに浮かび上がらせる。実業家としては一時期は富岡製糸場を所有し、国際的に一級品と認められるシルクを生産し、工員の待遇改善などに勤めるなど理想的な活動をしていたが、海外との競争激化、洋装化による国内需要の減少、工場現場での労使問題による役員の自死、後継者の早逝などそれらの困難を静かに受け入れていった印象。

 

小説は 瀬田というチンピラっぽい実業家と、酒場でジャズを歌う絵里子といういかにも小説的でありながら、実際に戦前戦後にこの職業はあったでしょう、というリアリティもある二人が、戦後に生きて再会できて終わる…

(横浜は1945/5/29の大空襲で1万人くらい亡くなっている ちなみに東京は3/10に始まって5回大規模空襲、その他も断続的に空襲をうけて10万人以上が亡くなっている)

瀬田は戦争前に、軍部と取引したくて伝手を探していたところ、原三渓に出資してもらえたらとりなしてやる、と、意地の悪い商人にけしかけられ、原のスキャンダルをつかもうとするけど何もない、なんとか会おうとして会うことができたが…。 瀬田と原三渓の出会いの場面は、作者永井さんの美意識と原三渓の美意識が響きあい、静かに広がりながら沈み込んでいくような名場面。

 

ただのいち市民としては、変化の激しいこの時代に、三渓園が末永く保存されることを願うばかりです…。中村是公の大邸宅は不運にもマンションになっちゃったりして。あちらは最後の所有者が換金したかったのだが、三溪園は守っている方々がしっかりされているので大丈夫ですね。中村是公って二代目満鉄総裁だったことと、夏目漱石にきんちゃん、金が欲しいならやるぞ!いくらほしいんだっ?っていう漱石の友達、ってくらいしか知らないのだが、庭や茶室は見事だったそうで、じっくりみてみたかったな。