よくいる57歳の日記

そこらへんによくいる56歳の日記

9月1日は関東大震災から100年

50年前に首都東京周辺に生きていた人は、関東大震災東京大空襲、横浜大空襲などの大きな空襲、この二つの大惨事を知っていた。37年前に亡くなったおばあさんは関東大震災時は東京に住み、横浜大空襲も経験しているが、のうてんきな人だったのでまったく何も語っていなかったが。

 

関東大震災では、逃げた先で逃げた人々に直接火が付き燃えたし、空襲では建物が破壊され燃えたあとは人間が狙い撃ちされて燃えた。

生きている人間が燃える。この体験を2回した人たちが暮らしていたのが東京周辺。

2回目の壊滅的な焼野原から東京を復活させるためにただただ邁進してきたのが戦後の政治。横浜は、東京に労働力を供給するためだけにある的な、成り行き任せでやってきた。

 

安倍さんのスピーチゴーストライターさんが考えたと思しき 

戦後レジュームからの脱却というのは、

もう東京の復興はいいから、次をみようという意味であるべきだと思った。でも、もっと東京を盛り上げようとか、そんなことばっかりやってた気が…。

 

政治家は自分たちのお得なつながりは捨てようとせず、変えるならもっとお得なつながりを作ろうと終始。いくら自分にお得だからといって、どういう脳みそで、自分の子供に権力を与えたいだけの韓国のあのおばさんをマザームーンとか言えるのか... 心底、気持ち悪い。戦時と向かい合う大学教授をいじめてにやにやしてた爺さん首相とか、もう面と向かって罵倒したいキモさだった。彼はそのあと、コロナ対策で総裁選対策なんかしてられませんといって辞めたのでポイント多少復活したけど。

 

結局、もう誰も言わなくなった、

戦後レジュームからの脱却。

それどころか一足飛びに、次の戦前になってるよね、とかテレビでしたり顔でタモリがいったら、さすがタモリとかいうリアクションって...なんなん?

タモリ自身は、深刻な顔で今の政治をどうにかしなければ次の戦前です、なんていったら、テレビに出られなくなるのでそこまでは言わなかったのだろうけど。

何とか次の戦前にならないように、いまを変えていこう。たとえ何もできなくても。と、みんなこころのなかで思っていると信じたい。