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『土葬の村』

 『土葬の村』(高橋 繁行):講談社現代新書|講談OOK倶楽部 (kodansha.co.jp)

 

新聞の書評にも載って、そこそこ話題になっていた『土葬の村』を読みました…。

 

土葬自体はキリスト教徒やイスラム教徒もやってることだけど、明治以降は火葬がどんどん増えていった日本で、まだ土葬をしているということは、

 

まだ 昔のやり方でやっている 

 

ということなので、日本人の古来の死生観などを知るには、「土葬の村」がなくなる前に記録しておこう、ということです。

 

筆者によると、日本で火葬の普及がはやかったのは、土地の狭い日本では土葬では座棺を使用、ご遺体を座棺に遺族が入れるのだが、骨が折れてしまったりいろいろ辛いので、寝棺でいい火葬を受け入れやすかったのではとのこと。あとは同調圧力。法律で火葬を推奨はしているが、強要しているわけではないのに、現在火葬率は99.97%。

 

本の途中から、火葬だけど昔ながら…の 野焼き とか、 風葬っていうか、野ざらしとか、土葬よりもっと、今自分がやれっていわれたらできないかも…と思うのが出てくる。

 

風葬の村で、「両親を埋めるなんてありえない、犬や猫じゃあるまいし」
えーえー、そうなの?わたしはおばさんで子供がいないので、死んだら遺体を燃やしてくれる人がいない!というのが一番心配なんですけどね…。土葬ならさっさと埋めてほしいし、火葬ならさっさと焼いてほしい!孤独死で放置されるのと、しかるべき場所に埋葬として大事に置かれるのでは全然違うけどさー。
遺体に対する感覚がまったく違うらしい。腐敗臭もするにはするが、話かけると反応があって臭いも一瞬やわらぐとかなんとか…。

 

自分の考えが死後については非常にドライなのを思い知る。

肉親でも愛猫でも亡くなったらすぐ火葬してあげたかった。朽ちていくところを観られたら嫌だろうなって思うほうなので...。(^^;  もう話もできないのに、遺体のままそこにあってほしいとはつゆにも思わない…。

 

クイーンのフレディー・マーキュリーは、1991年ロンドンの自宅で亡くなったが、パールシー教徒(ゾロアスター教の一種)だったので、占星術に従って夜中に火葬したんだそう。昔、ドキュメンタリ本で読んだ。その時は、ロンドンって、火葬できるんだ… しかも夜中、と思った。心の表現として、時間が選べるっていいね。フレディがリッチで有名だったからできたのかな? 日本でも大金積めばできるのだろうか?

 

イギリスでの火葬自体については、この本に書いてあったが、イギリスの火葬普及率は75パーセント、カトリックでないので、多いんだそう。

 

遺体を埋めたところの上に、覆いをつける… いろんな素材、いろんな形があるが、地域の人の手作りによる。 四方に神や仏の名や「諸行無常!」とか書いた旗を立て穢れを祓ったのが始まりで、国技館の土俵の上の覆い屋根も同じ習慣からではないか、とのこと。

 

座棺を運んで墓地まで行く途中、施餓鬼供養として小銭の包みやお菓子を配ったり、生米を撒いたりするとか。餓鬼=死んでもなお食を欲する浮かばれない死霊…。

 

餓鬼にならないよう慎んで生きます… 

 

葬儀社のサイトによると、日本で今現在、土葬される方は年間300人くらいで、その半数以上が神奈川県だそうです…。神奈川県民びっくり。