櫻井敦司へ 献花式にいってきました。先週の土曜日、PCの前にいたらXで チケットとれました!ってつぶやいている人がたくさんいて、今売ってるのか~と思い押してみたらサイトがひらけたので後悔先に立たずにならないように購入。
会場は、天空橋 Zepp Haneda ... 早めに到着したので赤ワイン飲んで待つ…
献花台に着くまでの花輪(今は輪じゃないけど)に書かれている関係者名が、仕事ざかりの人が突然亡くなったことを物語っていて、改めてショックを受ける。わかりきってることなのだがいちいちショック。
「No.0」というアルバムがすごく好きなのだ。(カバーイラストが稲垣足穂の世界…と思ったがやっぱりそうだった。)献花台の部屋で自分が献花した時は、そのアルバムの中から、「MOON さよならを教えて」が小さくかかっていた。
一階の出口あたりは芸人の永野やヒロシの名前があったが、二階の出口には出版関係の会社の花輪があって、改めてなんか現役が亡くなった感がすごくなってしまった…。
メモリアルでもらった写真、さすがにめちゃくちゃカッコいい!!!です。
日に日にショックが大きい櫻井敦司死去…なんでなのか考えてみた。
特にビジュアル系が好きとかではないし、最近の3枚のアルバムが好きなだけなのにね。
ここ数十年、哀しい歌が流行らないのが気になってる。
自分の若いころは、
道に倒れて誰かの名を~(中島みゆき 別れ歌)とか
どおしてどおしてわーたーしたーち出会ってしまったのだろう(松任谷由実 リフレインが呼んでいる)とか
ダンシンオールナイ、言葉にすればウソに染まる(もんたよしのり ダンシングオールナイト)とか
わたしまーつーわ(あみん 待つわ)とか
さよなら、さよなら、さよならー(オフコース さよなら)とか
あったし、演歌もそれなりにヒットしてた。
友人に話したら、なんとかって有名なポップカルチャー評論家みたいな人も同じこと言っててその人がいうにはKANさんの「愛は勝つ」が最後のとどめになって、それ以降めっきり哀しい歌は流行らなくなったんだそう。
21世紀になってからは、米津玄師のLEMON 流行ったが、この歌は身近な人の死を悼んでいて、哀しいけどむしろ哀しめないほうがサイコパス、みたいな、結局応援歌みたいなところがあった。ヒゲダンのきみはー綺麗だーで終わる歌も失恋の歌だけど絶望はしてない。
わたしが35年くらい前に美輪明宏をみたとき、シャンソンってこんな暗い歌ばっかりあるのか?ってくらい、哀しい歌ばかり集めて歌ってた。貧しい暮らしをしているがもうすぐ恋人が戦場から帰ってくる、しかし来たのは戦死の知らせだった、とかそんな歌ばかり集めて歌ってた。しかし、その美輪明宏さんですらTVに出るようになり華やかな表の存在になってしまった。最後にみた舞台の美輪さんはピアフの水に流して、を歌ってた。悲しみの果ての究極のポジティブを。Non, Je ne regrette rien!
いや、でも人間には哀しい歌が必要だと思う。最近の自殺率の上昇は哀しい歌がないせいだとすら思っている。哀しいときに歌って哀しみが去るとともに聞かれなくなる歌がたくさん必要なのだ(信念レベル)
たぶん自分は、櫻井敦司が、35年前の美輪明宏と同じくらいの年の同じくらい美しいこの男性シンガーが、新しい時代のSad Songs を詠ってくれると思ったのだろう。そういう道を行く人だと思えたのだろう。50歳も超えて進化していく様をもっとみたかった。それがいきなり絶たれてしまったことがショックなんだろう...。
貼っておこう Roosters
あの子の面影がとめどなくあふれ出し
薄雲った胸を真白に塗りつぶす
YOUTUBE様が このあとに
…IN HEAVEN… / MOON LIGHT - BUCK-TICK
を自動再生した!
スピッツから花輪が来ててうれしかった。(スピッツはインディーのころから4枚目までが好きだった!そのあとは聞こうとしなくても聴けるようになった。流行るから)
あとやっぱり、なんだかんだほんとうに優しい人だったので、今のガザや、長引くウクライナの苦しみをみなくていい星のもとに生まれたのかもしれないなって思う。みながらなにもできない、そして平気で生きてる自分がクソだもんね。