よくいる57歳の日記

そこらへんによくいる56歳の日記

大会に出る権利というが…

ロシアに言論の自由はない。情報操作されまくった情報しか流れていない。

一般市民にいいかげん、他の国がおかしいよ!、と思ってることに気づいてもらうには、ナショナルチームがサッカーの試合に出られない、とか、ワリエワさんが世界大会に出られないとか、ハリウッドの映画が公開されなくなった、とかで気づいてもらうしかない。ソニーピクチャーズもロシアへの配給止めた。

以前、ナバリヌイ氏に共感し、ロシア国内で選挙に立候補しようとしてた女性たちのドキュメンタリー番組を見たのだが、ありもしないような些細な罪をでっちあげられ拘束され、拘束自体が立候補をさせないためなので、さすがに裁判で無罪になるだろうと思いきや、普通の市民っぽい風の裁判員たちが有罪、という。

女性たちは疲れ切って、立候補を断念するのだが、その体験を通して思うことは、ロシアにはプーチンがいなくなってももっとひどい独裁者しか出てこないのではないか、それが一番怖い、と言ってた。

国民が変わらないと変わらないよ。このまま経済制裁が続いて、窮鼠猫を噛む状態でプーチンをギロチンにかけたとしても、国民が変わらなきゃ変わらない。また別の独裁者が、今度はうまくお金をもってきてくれたらいいな、アメリカ倒してくれたらいいなと思うだけで。

ロシア一般市民に、他の国の市民がどう思ってんの?と伝えるには、映画、スポーツ、ゲームとかそこらへんから伝えていくしかないと思う。今は一緒にできない、というしか方法はないと思う。そしてできなくなった、観られなくなった、となってから、考えてもらいたい。本当はどうしたいのか?

 

企みのある人はなぜか自分のことをいう…

最近、日常生活でも、やましいことがある人が他人を非難するときって、自分側の欠点を相手の欠点のように批難してくるな…と感じていた。

 

プーチンが、ゼレンスキーがネオナチとかいってるのって、まさにそれだよなー。

詭弁には誰も心を動かされないことを祈る。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

2/28 国立新美術館メトロポリタン美術館展に行ってきました…。ちょっと時間ができたので。

月曜日はありとあらゆる公立の美術・博物館はお休みなのだが、国立新美術館は休みが火曜日なのは以前にチェックして知っていた...。でも、なんか建物がつまんないんだよね。国際フォーラムとかパシフィコ横浜みたいな展示場スタイル。敷地は広くて素敵だが、まだ冬なので鳥の鳴き声も聴こえず。

ルネッサンスから、20世紀、モネ、ゴッホゴーギャンまでの所蔵品の展示だった。

フェルメールが妻と結婚してカトリックに改宗したころに描いたらしいといわれる絵が出品されてた。キリストの磔の絵があって、その前で女性が足の下に地球儀を踏みつけ、石のタイルの下で蛇が血を流して死んでいるという絵。カトリックは地球を支配し、教会の存在は邪悪な勢力を滅ぼしている、という寓意だそうで、フェルメールの庶民の日常を描くというスタイルからしたら異質な一枚だそう。

最近『窓辺で手紙を読む女』という絵で、壁に描かれていた天使の絵が塗りつぶされていた、と話題になっているけど、天使の絵はないほうがすっきりするのでフェルメールが自分で塗りつぶしたにきまってる。フェルメールに限らず、昔の絵ほど、微妙に説明的なものがちょこちょこ描きこまれている。天使の絵は、女性が読んでいる手紙はラブレターなんだ、という説明的なものらしい。フェルメールは、描いちゃったけど、一歩抜け出そうとして塗りつぶしたのだろう。

いろいろ描き込んじゃうのも、なんとか一枚の絵をいいものにしたい画家という人種のたどってきた歴史なんだろうね。それと、宗教画の伝統? 目にみえないものを描かないといかん、とか、観た人にわかりやすいようにしないといかん、とか。

その人の名で展覧会されるような画家ってほんとに巧いよな、って当たり前だが、思った。エル・グレコ、ベラスケス、カラバッジョクラナッハ…。点と線で結ばれた像の力の強さが激しい。

そうしてみていって、最後のほうに ゴッホの『花咲く果樹園』、モネの塗ったくっただけ『水蓮』。よくぞここにたどり着いてくれた…。日本人なんでしょうか?微妙に浮世絵チックなゴッホがやっぱり好きである。

ディーリック・バウツって人が書いたちっちゃい聖母子像、おばーちゃんチックな聖母とじーちゃんぽい子供なんだけど、子供がおかあさ~ん~ってなってる表情が〇。多分、個人宅の個人的なスペースに飾るために描かれ、その家の人に似ているのだろう。

マリー・ドニーズ・ヴィレールという女性画家の描いた、女性画家の絵。窓の外の建物の屋上に光をあびたカップルが小さく描かれ、部屋の中で手にカンバスを持って、光が差し込まず陰になった顔をこちらにむけた女性が描かれている。

メトロポリタン美術館は、アメリカ建国90年の記念に美術館を作ろうって決めて、一枚も飾る絵がないところからスタートして今に至るのだそう。1870年創立。東京国立博物館が今年、創立150年なので、同じころにできたのか。

ウクライナとロシアがいちおう協議するといってるから観れた…。土日は、何もできなかった…。攻められているウクライナは被害甚大だが、ロシア人もプーチン的でない指導者が現れないと辛いよ…。核兵器が使われることがないように。プーチンとその一派に殺される人が増えないように。祈ることしかできない。最近、わたしは祈らない!(夢のために行動する!)みたいな勇ましい台詞をきくことが多いのだが、祈ることがすごく大事な場面もある。祈ることだって行動ですし。

 

昨日はスーパー猫の日

特に何もせず。うちの3匹の獣たちは、寒さがきついので、いつもにもまして、ネコこたつの中とホットカーペットの上でごろごろしているだけで、特にごちそうももらえず。

 

九段下 寿々木 で、ネコ饅頭を購入。売上からのらねこ救済活動に寄付されるらしい。

ねこ饅頭、皮は薄くあんこぎっしり、甘さ控えめで美味しかった。

 

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北京オリンピック閉幕

大会通じて(主に日本選手しかみてないけど)、

活躍の陰にお父さんあり、と思った。

 

高木 美保には ヨハン・デビットヘッドコーチ、

カーリングには JD・リンドコーチ、

宇野 昌磨には ステファン・ランビエール

鍵山 優真には  本物のお父さん。

 

お父さんたちもお疲れさまでしたである。

 

凡人の日常生活でも、おじさんがちゃんとしたら、みんな暮らしやすくなるよね。

サンチャゴ デ コンポステーラ

ローマ、エルサレムと並ぶ、三大巡礼地。

巡礼自体はどんどん廃れてきているが、21世紀に入ってやる人が微増しているそう。

基本、現代人はどんどん宗教離れしているけど、自分探し的に宗教儀式や施設を利用することが増えている…という現象。世界中でおんなじなんだね。日本でも御朱印帳もって神社にいったり、健康のため(?)お遍路する人が増えてる。

夜中に、サンチャゴ デ コンポステーラ への巡礼を取材したドキュメンタリー風の番組やってた…。

サンチャゴ:Sanctus Iacobusにちなむ スペイン語の男性の名 聖ヤコブをさす。

サンチャゴ デ コンポステーラは9世紀に西暦44年にヘロデ王に斬首された聖ヤコブの遺骸を弟子たちが大切に埋葬したその場所が発見されたとかで、その後、15世紀まで続くレコンキスタ運動の根拠となった。聖ヤコブ様がそこにいるのだから、キリスト教徒の土地でありムーア人を追い出すべき、と煽られたわけで、「ムーア人殺しのヤコブ」って通り名もあったらしい。

番組の中で、さらっといい話的な風にナレーションされているのに超びっくりしてしまった。聖ヤコブの墓を農民が星に導かれ発見して、レコンキスタのときも力になったみたいなメルヘン風に…。巡礼について語るなら、レコンキスタや十字軍についていうのは余計だと思うが。ヨーロッパ内の権力者(貴族と聖職者)の政治的駆け引きで、9-15世紀の長きに渡って十字軍の名のもとに血を流しまくり、欧州庶民だって駆り出されて苦労したはずのその歴史を…。ドン引きした。

配慮なさすぎるというか、鈍感力がこわい。

 

NHKのBS番組だったけど、同じNHKのBS番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」では、五輪反対デモは参加者は金をもらって動員されてる…、というような根拠のないキャプションを入れて、物議をかもしてる。NHKの番組制作が、ことばの部分に関して個人のブログやTwitterレベルに陥ってる感じはある。

『死霊』 埴谷雄高

読もうと思って、図書館から借りてきたけど、持ち運べないので多分読めない。

埴谷雄高… 本名は般若さん、そっちのほうがペンネームっぽい。

マルクス主義者として出発し、戦前に逮捕までされてる。けど、作家になってからは、株が得意で編集者にアドバイスくれるほどだったとか。至極、資本主義的ですね。

他にも、いろいろと矛盾の多い人物。

生前、『死霊』ばっかり、続き書いたり書き直したりしてたため、いろんなバージョンが出ている。書籍の文庫化は著者が死んでからすべきという持論の持ち主だったせいか、文庫本は今も少ない。文庫化しても読まれないか…

借りてきたのは図書館の人が探してくれた、初単行本である。図書館に文庫本の1巻がないそうで。多分、文庫本の3巻くらいまでにあたるみたいだから、これと文庫本の4,5を借りていけば…と言われたが、そんないっぺんに読めないから、一冊だけでいいです…と借りてきた。

正直、自序読んだだけで、疲れた。日本人って、キリスト教文化に弱すぎじゃね?という最近感じる悶々を、もっと悶々させるスタイルのドストエフスキーかぶれじゃん。わかってたけどさ。司書さんがせっかく探してくれたのに最後まで読めない、たぶん。

そして タイトルは、しりょう ではなく、しれい であった…。

 

『リフォームの爆発』は、読了。天窓とワイドな吐き出し窓で明るくなり、床暖房の上で楽しく本が読めるようになった。細長いダイニングは、原稿をとりにきた編集者が風呂に入ったりしないという現実により、プライバシーの確保は若干ゆるぐが、廊下を無くし間取りをかえることで細長さを解消できた。

でもさ、2階もあるおうちなので人間だけなら2階で十分なんだろうけど、ひとえに保護犬猫と暮らすために明るく温かい一階にしたかったんだよね…。ありがとう… 町田さん。