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TOKYO の 国立新美術館 ルートヴィッヒ美術館展 

YMO …

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東京は、1979年にYMOがやきつけたこんなイメージのまま、今も驀進している。 

そして、んなわけないだろ~と、思う。好き嫌いとか良い悪いではなくて、単に同じ状態が何十年も続くわけがなく、潮目というのはあるでしょ、という話。

政治家は東京におんぶだっこで、経済成長とかまだいってて、地方にふるさと納税とかでお茶を濁して、潮目が変わった先のビジョンを描けないでいる。

 

ちょいと用事があって六本木にいったので、国立新美術館の、ドイツ・ケルン市にあるルートヴィッヒ美術館展を観ました。

正直、内容的には、自分程度の素養しかない人にはわかりずらい現代美術の展示会だった。

ルートヴィヒさんは第一次・第二次世界大戦を経験する中、個人コレクターとして世界共通の美、を求めて収集にいそしんだ。別の美術館に収蔵されていた夫妻のコレクションのうち、現代美術がここに移転されたとのこと。

ヨーゼフ・ハウプリヒさんがケルン市に自分のコレクションを寄贈すると決めたとき、ケルン市は新しい美術館を建てルートヴィヒと命名し、そのようにしたそう。ほかにも大勢の、アートのプロではないが裕福な市民たちの支援があって成り立っているらしい。

ピカソの、「アーティチョークを持つ女」があった。ピカソは自分を前衛とか思ったことは一度もないと思うが、あまりの非凡な巧さが凡人を前衛にも抽象にもつないでくれるんだよ… ありがとうピカソピカソは、純粋な抽象画を一枚も描いていないのでは?と大人の教養講座の山田五郎先生が言ってたがそう思う。いつも何を描いてるか題材ははっきりしてる。とがったアーティチョークを持つ女は、持ってないほうの自分の手もとがらせ、何かに怒ってる。戦争に対して怒っているのだろう。

ビデオで、ルートヴィッヒさん(と思う)が個人コレクターの使命として、公金で運営されている美術館が買えない、まだ評価の定まっていないものを買う、と言ってた。

物販のところで、ピカソの 青の時代の「犬と少年」(少年と犬?)を400枚限定で版画にしたものを買わないか?と出張してきている画廊のお姉さんにいわれた。15万円 + 消費税。素敵な額に入っていたけど、額のお値段は別だよね。彼女がピカソについて、熱く語っているのを聴いてたら知識としては知ってはいることが、初めて知ることのように心に染みる…。好きなものを語る人っていいよね。

しかし、当然買わなかった。値段的には買えるのかもしれないが、飾るような家に住んでないので、もったいないからね。

版画の工房も減っている、これはうちの在庫です、今はとてもこんなお値段では無理です、といってたのも本当、そうだよね、と思った。

前半に飾られていた作品群は、ナチスドイツが退廃芸術として焼却処分をしようとしていた時代のもので、1作品は実際、退廃芸術展で展示されたものだった。心の深層に働きかけようとする現代アート=わかりにくい、不快な一面も確かにあるが、それらを、退廃的だ!と断定するヒトラーに騙されちゃった市民も大勢いたのだろう。ヒトラーは退廃的なものを排除し、偉大なドイツ帝国を再建してくれると思ってしまったのだろう。

気をつけなきゃいけない。

六本木ヒルズからみえた東京タワー