よくいる57歳の日記

そこらへんによくいる56歳の日記

終戦記念日と母の命日

今日は日本にとっては、しのびがたきをーしのび、の玉音放送の日、

わたしにとっては、母親の命日。

 

母は姉が乳がんで38歳で2人の子を残して亡くなってしまった翌年に、

自身は59歳のときに克服したと思っていた大腸がんが再発してしまい、68歳で亡くなりました。ストレスってほんとですよ…。

 

姉は 小林麻央さんと同じく初動で手術を拒否してしまった…2年の闘病だった。

小林麻央さんは、患部摘出の手術を受けることはできたが、標準治療を拒否した患者を受け入れてくれる病院は少ない。姉は、探して探して、聖路加国際病院だけが受け入れてくれた。抗がん剤放射線治療をしていた最中に力尽きたけれど、本人は満足していたと思う。主治医になってくれた先生は有名な方だったが、ほんとうに親切で優しい先生だった。

 

母は、手術を受けて人工肛門だったけど、すごく綺麗で取り扱いも楽なものだった。手術してくれた先生がすごく名医だった。姉がガンだとわかるまでは元気で、友達や孫と旅行に、アルバイトに、大学の夏季講座聴講など、楽しく生きていた。

 

母は、日韓共催サッカーワールドカップでは、国際競技場(日産スタジアム)で掃除のおばちゃんをしていたので、決勝をみている。基本、清掃や警備スタッフは競技フィールドのほうをみることは許されないのだが、興味なさそうなおばさんたちには手がすいたら観てもいいよっていってくれてたらしい。みたところで何やってるかわかんないんだけど。(^^;  ラグビーW杯やオリンピックなどの国際的なスポーツイベントがあると、母のことを思い出す。

 

いろいろとあるんだけど、ぼつぼつ書いていこうと思う。

今日は、15日の日付が変わる前に、終了…。